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当解説は筆者の知見、認識に基づいてのものであり、特定の会社、公式機関の見解等を代弁するものではありません。法規制解釈のための参考情報です。

法規制の内容は各国の公式文書で確認し、弁護士等の法律専門家の判断によるなど、最終的な判断は読者の責任で行ってください。

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労働安全衛生法を中心とした発がん性物質への法規制(その2)

2023年07月21日更新

前回(その1)では、特別規則およびがん原性指針を中心に、発がん性物質に対するこれまでの法規制について概説しましたが、今回は現在進められている安衛法への新たな考えに基づく規制の導入について説明します。


3.労働安全衛生法における化学物質管理への新たな考えの導入

3-1.必要とする背景

2021年7月、厚労省、労働組合や経営者団体の関係者、大学・研究所等の専門家による約2年間に渡る検討を経て「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会」報告書が公表されました。1)


同報告書では、今後の化学物質管理のあり方を、これまでの特別規則等の様な指定物質毎に定められた個別具体的な事項を遵守させることを基本とする「法令準拠」型から大きな転換を図ることが強調され、こうした転換の必要性について、同報告書では以下の様な背景が指摘されています。


すなわち化学物質起因の休業4日以上の労働災害は年間450件程度で推移している状況ですが、そのうちの約8割は、特別規則等による具体的な規制対象以外の物質が原因となっていることが注目されます。 これには特別規則等にて規制対象とされた物質から他物質への代替、あるいは従来に無い優れた機能の新物質の開発・導入が非常な速度で進む一方で、これらはその危険有害性に関する知見が十分得られぬまま具体的な法規制の整備が追い付かず、結果として労働災害の多発を招いている、という状況となっています。 実際、現在特別規則(特化則および有機則)により規制対象となっているのは計123物質ですが、それ以外に数万もの危険有害性物質があるとしています。


こうした従来の「法令準拠」型による規制では限界を見せている状況の打開を図るため、同報告書では、危険有害性が確認された全ての物質に対して、国は管理基準を定め、事業者にはこれを達成することを要求するが、その達成手段は限定しないとする「自律的管理」型へ移行することを打ち出しています。


具体的には以下を原則とします:

(i)ばく露濃度等の危険有害性物質の管理基準を定め、その情報伝達の仕組みを整備・拡充する。

(ii)事業者はその情報に基づいてリスクアセスメントを行い、ばく露防止のために講ずべき措置を自ら選択して実行する。


そしてこうした新たな方式の管理体制への移行が可能となってきた基盤として、特に近年、以下の様な取組みが継続的に積み上げられてきたことが重要です:


(i)労働安全衛生法の改正により、化学品の危険有害性情報伝達のためのラベル表示(同法57条)やSDSによる通知(同法57条の二)、およびリスクアセスメントの実施(同法57条の三)の義務付けを中心とした危険有害性物質の包括的な管理を目的とした仕組みが2016年までに順次整備、施行されてきたこと。

*これらの義務を課せられている物質を「リスクアセスメント対象物」と称し、2023年現在で674物質が指定されています。これらにはラベル表示およびSDS交付が各々義務となる「裾切値」と呼ばれる最低含有濃度が設定されています。                  


(ii)政府によりGHS(Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)に従った化学品の危険有害性分類が行われ、なお継続中で、これらは順次(独)製品評価技術基盤機構(NITE)のHP上に公開されてきていること。2)


本報告書の公表後、その新たな考えに基づく政策が順次推進されています。その主要なものは以下ですが、安衛法自体は改正せず、その下位法令である労働安全衛生規則や労働安全衛生法施行令等の一部を改正することによっています:


(1) 令和4年厚生労働省令第91号 3)

労働安全衛生規則等の改正により、化学物質管理者の選任等、管理体制の強化、SDS等による危険有害性情報伝達の強化、リスクアセスメントに基づく自律的化学物質管理の強化等を中心に、多岐に渡る内容が規定されています。

その全体的な趣旨や具体的な内容は基発0531第9号(令和4年5月31日)に説明されています。4)


(2) 令和4年政令第51号 労働安全衛生法施行令の一部を改正する政令 5) 

前記リスクアセスメント対象物が2024年4月1日施行で更に234物質が追加されます。

*リスクアセスメント対象物については、前記報告書 1) では国による化学品の危険有害性分類は継続的に行い、その結果に基づき2025年以降も毎年50~100物質を追加していくとしています。


なお欧米では、化学物質管理において、こうした「自律的管理」型の考え方は既に主流となり、それに基づいた各種法的制度が整備、施行されています。


3-2.がん原性物質の指定

前記厚労省令第91号 3) において、発がん性物質に対する新たな対策として、2022年5月、労働安全衛生規則の改正により、同規則第577条の二において、厚労大臣が「がん原性物質」を指定し、それらの製造または取扱い業務に従事する労働者に関する記録(労働者の氏名、従事作業の概要・期間、これら物質による著しい汚染発生時の概要・応急措置)を、1年を超えない期間毎に定期に1回作成し、30年間保存することが義務化され、2023年4月1日より施行されました。


これはこうした物質による発がんは遅発性であることが多いため、後日発病が明らかとなった際にその原因を追跡するためには、作業記録のこうした長期間の保存が重要であること、また保存期間の30年間は、前回採りあげた特化則において、発がん性物質として指定されている特別管理物質のそれに整合させたものです。


ここで対象となる「がん原性物質」とは、安衛法に基づくリスクアセスメント対象物において、前記の国が行うGHS分類の結果、発がん性が区分1(区分1A及び1Bを含む)とされた物質の中から指定されます。なおこれら物質を通知裾切値(SDS交付)以上含む混合物も対象となります。


そして2022年12月、指定されたがん原性物質が公表され、2023年4月1日に121物質、2024年4月1日に77物質に対して適用されることになりました。6)

但し以下については各々の理由によりがん原性物質には指定されていません:


(i) エタノール:発がん性区分 1に分類されているが、これはアルコール飲料として経口摂取した場合の健康有害性に基づくもので、業務として大量のエタノールを経口摂取することは通常想定されないことや疫学調査の文献からは業務起因性が不明であるため。


(ii) 特化則における特別管理物質:前記の様に、既に同規則で上記記録の30年間保存が義務付けられていることから、これらとの重複を避けるため。


(iii) 対象物質の取扱いが臨時的な場合:継続的なばく露が見込まれず、ばく露量が少ないことから、発がんのリスクは極めて低いと考えられるため。


以上の様に、今回新たに指定されたがん原性物質とは、前回採りあげた「がん原性指針」とは異なる基準で定められるものであり、双方の間には必ずしも一貫性はありません。 すなわち公表されたがん原性物質は、先に「がん原性指針」対象物質とされていたものもありますが、そうではないものもあり、また「がん原性指針」対象物質とされていたもので、がん原性物質には指定されていないものもあります。


またがん原性物質についての規定は「指針」とは異なり、法的拘束力を有します。


3-3.その他の新たな規制

今回の法令改正では、化学品の製造あるいは取扱業務を行う事業場におけるがんの発生の把握の強化が織り込まれており、改正後の労働安全衛生規則第97条の二において、事業者の義務として以下が規定され、2023年4月1日に施行されました。 これはこうしたがんの再発防止と共に、国内の同様な作業を行う事業場におけるがん発生を予防していくことが目的です:


(i)1年以内に2人以上の労働者が同種のがんに罹患したことを把握したときには、これが業務に起因するか否かについて遅滞なく医師の意見を聴かねばならない。


(ii)その医師がそのがんへの罹患が業務に起因すると疑われると判断した場合、その労働者が取り扱った化学品の名称等の情報を遅滞なく所轄都道府県労働局長へ報告せねばならない。


おわりに

以上、労働安全衛生法を中心とする発がん性物質に対する規制について、従来からの経緯も含めて解説しました。


これまで特別規則、がん原性指針、がん原性物質の指定等、幾つかの規制が重ねられてきていますが、これは化学物質管理政策をGHSの様な国際的に統一的な基準に基づくものにしていこうとする大きな流れの中で、様々な物質の発がん性に関する新たな知見が見出されたり、既存の仕組みの中での対応には限界があることが明らかとなり、それに伴う様々な必要な措置が生じてきたことが背景にあります。


前記の様に、今後の化学物質管理はラベル表示やSDS等の情報に基づき事業者自らがリスクアセスメントの結果に基づいたばく露低減措置を選択、実行していくことが基本となりますが、当面は既存の法規制内容と相互に調整しながら、併存して運用していくことになります。 例えば現在特別規則において規制対象となっている物質については、現行の各規定内容を遵守していることを確認することで、リスクアセスメントの実施とその結果に基づく措置がなされているものと見做されます。


今後更に規制対象となる物質や業務範囲が拡大していくことは十分予想されるところですが、それに伴い各規定が複雑化し、全体的な把握が困難となっていく可能性はあります。


一方、前記「あり方に関する検討会」報告書 1) では、現在特化則や有機則等にて規制されている物質については、目標としている自律的管理に移行できる環境を整えた上で、これら特別規則による規制は廃止することを想定する、と述べられています。


この様に此度新たに着手された化学物質管理の「自律的管理」型への移行は、中期的な課題として取組みが継続されていきますが、これら関係法令の整理統合等の大きな変化の可能性もありますので、今後も引き続き注意していきたいと思います。

 

参考URL







以上


(福井 徹)


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